SONGS Part1と2、まとめてレポりまーす。
長いでーす。
まずは先週のSONGS Part1
いきなり金ぴかの衣装来た、昔のVTRが。
曲はもちろん「ギンギラギンにさりげなく」
続いて「ブルージンズ・メモリー」「ハイティーン・ブギ」が流れた~。
かわゆい♪
金八先生からデビューまでの説明の後、
現在のマッチ登場~。
「騒ぎを起こしてやろうって気持ちだけで、成功させて2曲目、3曲目につなげる事は考えてなかった。1発でいいやみたいな。勢いだけだった」
いやいや、困るから。続けてもらわないとー。
結果、続いたからよかったけど(^_^;)
「スニーカーぶる~す」
出た。
黒いスーツ。
髪型もチリチリだけど(笑)妙にカッコいい。
4月10日多治見でのツアー初日の映像。
私服のマッチ・・・・
ラブリーすぎるっ (≧∇≦)キャー♪
なんなのっ。
背中に「LOVE」って書いてあるけど!
こんなニットが似合う男はマッチしかいないっ。
それにメガネ、メガネ~。
萌えるわぁ。
キュン死するわぁ。
髪の毛もチリチリじゃないじゃん。
なに?セットするとチリチリになるの?
話
ライブから入ったので、上手い下手よりはメッセージが伝わるか伝わらないか。
歌ってすごい力があるなって。
うんうん、伝わってるよ。
ライブの様子。
久しぶりー!!って叫んでたよ(^^)
そしてサイン会の様子。
ナレーションで、
「僕はこの日、生まれて初めてのサイン会を開きました」って。
そう?デビュー当時とかやってたんじゃないのぉ?
「ファンの人たちの想いを直接受け止められたこの時間は、僕にこの先のツアーに対する確かな手ごたえを与えてくれました」
・・・テレビ用優等生コメント?(≧m≦)ぷっ!
めんどくさがってなかった?
いや・・・めんどくさがってたのは照れで、本音はこっちか!
(勝手な解釈)
7月19日鹿児島。
ヨッチャンの話♪
昔紅白に一緒に出た時のVTRが少しだけ流れたよ~。
ヨッチャンと一緒にインタビュー。
マッチ 「甘えちゃう。ヨシオがいてくれたら俺はOK。」
ヨッチャン「すごいおじいちゃんになっても一緒にやってたらカッコいいね。」
マッチ 「それはカッコいいね。」
この2人は本当にいい関係だねー。
ヨッチャンと一緒に
「ハイティーン・ブギ」
「ケジメなさい」
ヨッチャンがギターで前に出てきた時に寄り添うマッチ。
素敵な映像だぁ。
「ふられてBANZAI」
「ブルージンズ・メモリー」
セリフの部分、字幕は出てたけど口パクというか、マイク通さなかったね。
なんでだろーなんでだろー。
ま、ツアー中で喉を痛めないように?って事で。
グレーのスーツ。
黒いシャツ♪ ←大好物
ネクタイなしでボタン2つくらい開けてるー(*^^*)ポッ
中野サンプラザの様子。
13年目と聞いて驚くマッチ。
ナレーションで4年連続って。
そんなもんだったけ?もっとやってたイメージが~。
マッチインタビュー
中野サンプラザをいつまでやり続けられるかが仕事のバロメーターになっていた。
そうなの?じゃぁ4年ってどうなのかな?
愚か者みたいな大人っぽい歌で勝負したいんだよっていう時に出会った曲。
歌手として大きく成長させてくれた。
確かにー、今まで歌下手とか言ってた友達も
「マッチ、歌うまくなったね」って言ってくれるようになったのが「愚か者」だったな。
「愚か者」
part1終わり。
part2
カウコンの様子から。
みんなで-MOTTO-♪
もう1つの顔、レーシングチームのオーナー。
マッチのナレーション
「僕は20歳の時にレースと出会いました。最初はドライバーとしてのスタートでした。勝つ事がすべての厳しい世界。最初の頃はアイドルの僕に対する視線はとても厳しいものがありました。」
マッチインタビュー
「アウェイもアウェイ。レース関係者の見る目がチクチク刺さって。アイドルのマッチさんが来られまして、女の子やマスコミをゾロゾロ連れてきてる。いつまた向こうの世界に戻るんですか?みたいな目で見られてたんで、ちょっと負けず嫌いが出たかな。なにクソっていう。そう簡単には戻らんぞみたいな。」
だから私たちを10年も待たせたんですか(T_T)
マッチナレーション
「デビューのレースは最下位。それ以降も結果は出せませんでした。でもいつか絶対表彰台に上ってやるという思いでレースに参加し続けました。
僕がレーサーとしてもがき続けていた時間は、一方で自分がアイドルとしてどこまで輝いて行けるのか考え続けていた時間でもありました。」
レースを始めてから10年目初優勝を果たす。
一人前のレーサーとして認められた。
この2年後、「ミッドナイトシャッフル」で8年ぶりの紅白に出場した。
マッチインタビュー
「最初はにわかレーサーだったんだけど、それが歌手ズッポリっていうところから少し気分が晴れて、肩の力がぬけたり責任感みたいのが取れて、なんとなくよくなってきた。きっとレースズッポリでもダメだし、歌手ズッポリでもダメなんですよ」
そうなのねー。うんうん。
ダメなら仕方がない。レースで頑張ってる時も待ってるわ~。
30周年でこんなに大きな花火を打ち上げられたのも、レースがあったからだね。
ホントよかった♪
マッチナレーション
「レースの世界で戦い続けたからこそ、僕は大人になった自分にふさわしい歌と出会えました。
自分の職業は近藤真彦。そう言えるようになった今の僕にとって大きな意味を持つ曲です。」
「ミッドナイトシャッフル」
職業近藤真彦って。すごいなぁ。
常に近藤真彦であり続ける。大変だけど、そう言えるってすごく幸せな人生だよね。
「ミッドナイトシャッフル」
再びレース場。
2000年に自分のチームを作り、オーナー兼監督を続けています。
マッチのナレーション
「僕が感じる責任の重さは、レースには人の命がかかっているという現実から生まれてきます。」
「僕はこれまでの人生で命について考えさせられる事が何度もありました。知人が何人もレースで亡くなっていますし、レースの世界に入ってすぐの頃には母親を交通事故で亡くしています。」
「今僕が歌っている「ざんばら」という曲も命について考えることなしには歌えない曲です。」
マッチインタビュー
ざんばらについて
「重いっ。ヤバい。ホントにこれ歌にして歌うんですか?ただ、ざんばらばらばらって書いてあった文字のはこびにすごく魅力を感じた。」
命の重さを実感できるようになった今だからこそ、この歌に込められた思いを表現できるようになりました。
「心ざんばら」
伝わるねぇ。伝わるよ。
マッチの思いがぁ(T_T)
チーム作った時は優秀なスタッフやドライバーを集めるのが大変だった。
マッチのインタビュー
ここまで来るにはすごく時間がかかった。だってさぁ、マッチのチームよ?最初は誰が入りたい?プロフェッショナルな人たちが。」
ハーイ!入りたい~。(何もできないだろ。)
でもやっぱり人柄だよね。マッチの。
完全アウェイでも逃げずにやり遂げちゃうんだから。
やっぱり私の尊敬する人だわぁ。
マッチナレーション
「今僕は自分がレースチームの監督でありながら、マッチである事、そしてサーキットで大勢の人に囲まれたりすることも自然に受け止めています。でも30代半ばの頃にはサーキットでマッチと呼ばれる事を、そして自分の代表曲であるギンギラギンにさりげなくが重荷になったこともありました。しかし40代に入った頃からはその考え方も変わってきました。」
でもきっと今までも嫌だよね。
サーキットへ行くファンの人たちも節度を守って、マッチの立場を考えて、でも熱く!応援してあげましょう~。
偉そう?
マッチインタビュー
「(ギンギラギンとマッチは)もう宝物ですね。なくてはならないし、僕から切り離すことはできない。一生僕から離れることはないんじゃないかな。」
マッチナレーション
僕を、今の僕にしてくれた曲、そしてこれからもずっと僕の1番大事な曲です。
「ギンギラギンにさりげなく」
ヨッチャンと一緒♪
「歌の世界でも、レースの世界でも何度も壁にぶつかりました。それでも決して逃げず全力投球してきたからこそ、今の僕がいます。今までもこれからもずっとマッチ。そんな覚悟で走り続けたいと思います。
最後に聴いて下さい。」
「恋ざんばら」
以上!
全体を通しての感想~
歌メッチャ上手くない?
っていうか、ノリノリですごく伝わったよね。
やっぱりバンドがいつものメンバーだからだよね。
ライブで歌うマッチは、ホントに歌が上手くなって伝わってくるんだけど、テレビだとそれが伝わらない事が多いじゃん?
音楽からボーカル浮いちゃって、「あれー、ホントはもっと上手いのにぃ」って思うこともしばしば。
あれ、悔しいんだよねー。
だけど今回はライブで聴くマッチそのもので、とっても良かった♪
歌う時、ノリノリだったじゃん?
間奏とかの時に、入れる合いの手(っていうの?)
マッチのパターン
「ベイベー!」「カモン!」
言ってたねぇ、ちょっと昭和の香り漂うよねぇ。
と、やっぱり間奏の時。
エアギターは健在だね。
多分、日本で1番最初にエアギターやり始めたのはマッチだと思うね。(根拠なし)
私はマッチのエアギターを見ると
「弾けないクセにぃ」って思っちゃう(笑)
もちろん、かわいいやつ♪って愛情を込めたツッコミよ!
最近テレビでもライブでもスーツ姿が多いマッチ。
いくらスーツフェチな私でも、たまにはかわいい格好も見てみたい♪
まだまだイケるよ!
最後に・・・右の眼が時々疲れたように二重になるのが気になりました。
今年はたくさんお仕事してくれたもんね。
来年は・・・嫌だけどっ。
少しゆっくり休んで欲しいなぁ。
でも・・・
いい加減、アルバム出せよ~!!
どっちやねん!(笑)
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